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第121回日本精神神経学会学術総会に参加して【イベントレポート】

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実際に日本精神神経学会学術総会に参加した感想

「『精神障害にも対応した地域包括ケアシステム』を支える精神科病院の役割」

このシンポジウムで特に印象に残ったこと

このシンポジウムでは、埼玉県にある南飯能病院の角田健一医師の話が特に印象に残った。角田医師の話の中で、南飯能病院が入院患者への社会復帰地域移行に積極的に取り組むようになった経緯を聴くことができた。

南飯能病院では、以前はそれほど積極的に入院患者の社会復帰・地域移行に取り組んでいなかったとのことだった。実際その当時は社会復帰・地域移行を進めるために必須の精神保健福祉士(PSW・MHSW)の役割を十分理解していなかったため、離職が多かったとのことだった。

それに加えて飯能市などとの「地域との連携」がそれほど取れていない時期もあったと言われた。地域で精神医療のニーズがある人がいても、市町村側の判断で他の精神科病院につなぐことがあったとのことである。

その後南飯能病院は方針を大きく変えて、入院患者の社会復帰地域移行の取り組みを積極的に行うようになった。

例えばデイケアの実施や訪問看護・グループホームの運営にも取り組むようになった。また発達障害者への対応やリワーク(復職)に関する取り組みにも力を入れるようになったとのことである。

さらに角田医師からは地域の行政の仕事を積極的に受けているという話を伺った。地域との関係作りにもつながるとのことだった。

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このシンポジウムの感想

私はこの南飯能病院の取り組みを聴き、精神科病院も時代の変化に対応し、社会復帰地域移行に関する取り組みが強く求められることを改めて理解できた。

それといわば「地域社会から離れていた」精神科病院が地域に根差し、地域の精神保健医療福祉に積極的に貢献するように変化した事例を聴けたことは、私にとっても非常に貴重な経験になったと思う。

「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」は、精神科病院が「地域社会から離れたまま」だと実現しようがない。精神科病院は地域社会との対話を通じて歩み寄る必要がありそうである。

一方で市町村など地域の行政も、精神科病院へ働きかける必要があることが分かった。精神科病院の力を借りることも、「地域包括ケアシステム」精神障害にも対応させるためには必須である。

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「神経発達症におけるピアサポート~医療と自助活動との接点を探る」

このシンポジウムで特に印象に残ったこと

このシンポジウムでは、やはりDDAC(発達障害をもつ大人の会)広野ゆいさんの話が特に印象に残った。

広野さんはご自身のこれまでの取り組みや体験を通じて、いわゆる「当事者活動」の分類や発達障害(神経発達症)の受容について、非常に説得力のある話をされた。

「当事者活動」の分類の話では、以下の3つの違いについて、分かりやすく説明された。

  • 「ピアサポートグループ」
  • 「セルフヘルプグループ」
  • 「(支援職主体の)グループプログラム」

次に発達障害の受容について、「普通っぽく生きる」(=健常者に擬態して生きる)ことと対比しながら伝えられた。広野さん

「自分らしく生きる」「これでいいや」(=発達障害の状態でいいや)

という端的な表現を用いられた。

このシンポジウムの感想

「当事者活動」の分類に関する広野ゆいさんの話を通じて、私の中では「セルフヘルプグループ」「ピアサポートグループ」「グループプログラム」の違いが明確になった。

「セルフヘルプグループ」「ピアサポートグループ」は、障害当事者が関与するという共通点はある。ただし「セルフヘルプグループ」の運営には専門職者は関与しない。

私はときどき発達障害精神障害・精神疾患の各当事者会に参加している。その際私はあくまでも「当事者の1人」である。しかし私はいわゆる「福祉専門職」の立場もある。ゆえに他の当事者会の参加者との関わり方に悩むことがある。

これは「福祉専門職」の資格を持つ当事者特有の悩みだろうか。

次に広野さん自身が発達障害の診断を受けてから受容の段階に至るまでの話を聴くことを通じて、「私自身はどの段階だろうか」と考えさせられた。

とりわけ発達障害者にとっての「普通っぽく生きる」ことと「自分らしく生きる」ことの違いを改めて理解した。

「普通っぽく生きる」ことは、「自分をごまかして健常者に擬態する」とも言える。「普通っぽく生きる」ことを続けると、広野さんの言われる通り疲れがたまる。その結果何かしらの問題が起こる。

私自身も過去に同じような体験をした。本来の自分を隠して健常者のようにふるまい続けることはすごく大変である。精神的なストレスで自らの心をすり減らしてしまう。これでは「自分らしく生きている」とは言えない。

一方「自分らしく生きる」ことは、「自分自身を偽らずにありのままに生きる」ということである。まさに広野さんの表現でいう「これでいいや」(発達障害の状態でいいや)である。

発達障害当事者の障害受容について、広野さんのいう自分自身に「これでいいや」と素直に思えるかどうかが、大きな1つの基準になりそうである。

ちなみに私自身が「どこまで自分の障害について受容できているか」とふと考えた。割合で表すと「7割ぐらい」だろうか。私は発達障害の診断を受けてそろそろ20年になるが、心の中には「健常者のようにふるまいたい自分」もいる。

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