先ほど挙げた実例に対して私が思うこと
利用者叩きは結局社会全員の「損失」になる
影響があるのは制度・サービス利用者だけか?
私は先ほどの実例のように、福祉や社会保障に関わる各種制度・サービスの利用者を「袋叩き」にしたとしても、各種制度・サービスが改善される可能性はかなり低いのではないかと感じた。むしろ各種制度・サービスが改悪される可能性の方がはるかに大きいと考える。
実際に2013年頃から生活保護基準が引き下げられたのは、一部国民の「生活保護バッシング」の影響もあった。
このような福祉や社会保障の制度・サービスの「改悪」が影響するのは、すでに制度等を利用している人だけでない。その他の全員にも悪影響を与える。
実際は社会にいる全員に影響する
福祉や社会保障に関わる制度・サービスを現状利用していない人も、今後利用するかもしれない。もし今後制度等を利用することになれば、改悪後の制度・サービスを受けることになる。
例えば生活保護は、権利として経済的に困窮する状態なら誰でも利用できる。それと現在困窮していなくても、今後困窮する可能性は決してゼロではない。実際新型コロナウイルスの流行により急に失業する人も多数いたのである。
また障害年金は、年金保険料の納付や初診日の各要件があるものの、法令で定める一定の障害を負った人に対して給付される。健常者でも不慮の事故・交通事故等によって障害を負うこともある。
制度・サービスが必要な人の「受け控え」にも
あとはこのような「バッシング」によって、福祉や社会保障の制度・サービスの「受け控え」がますます発生するのではないか。
制度・サービスの正当な利用対象者であっても、非難やバッシングが気になってしまう。対象者が本来利用できるはずの制度・サービスを受けづらくなる。いわゆる「スティグマ」「烙印」を押されることへの恐怖とも言えそうである。
制度・サービスを本当に良くするためには
「自分事」だと想像する
福祉や社会保障の各制度・サービスは、要件を満たせば誰でも利用する権利がある。それと社会全員がこのような制度・サービスを使う可能性がある。
つまり誰にとっても「自分は関係ない」ことはないのである。福祉制度や社会保障の制度・サービスの改正は、決して「他人事」ではない。「自分にも関係がある」と思って欲しいのである。
「建設的議論」
制度・サービスに課題があるからといって、その利用者を非難することに労力を割くぐらいなら、その課題の改善に向けて「建設的に」議論する方がはるかに有意義だろうと私は考える。
それと「建設的な議論」なら、実際に福祉や社会保障の制度・サービスを利用する人も、思うことを発言しやすい。
実際の利用者の声をより大事にできる。改善すべき課題・課題改善のための提案も出やすい。「建設的議論」は、利用者を抑圧する「バッシング」や「叩き」とは全く異なるのである。
- 厚生労働省(発行年不明)「生活保護制度」(2024年6月19日アクセス)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/seikatuhogo/index.html - 日本弁護士連合会(2023)「生活保護利用者の苦境を直視するとともに国の姿勢を厳しく批判した名古屋高等裁判所判決を踏まえ、速やかに恣意的な生活保護基準引下げの見直しを求める会長声明」(2024年6月19日アクセス)
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2023/231222.html
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