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【発達障害】4月2日は世界自閉症啓発デー→生きづらい自閉症(ASD)の理解を深めるために

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自閉症の生きづらさ-私の場合

私自身は高校3年生の時に、大学病院の医師から「アスペルガー症候群」(当時の表現)と診断された。

のちに「ASDとADHD両方の要素がある広汎性発達障害」という診断に修正された

その時までは発達の遅れが指摘されたことが一時期あったものの、私には明確な検査・診断を受けた記憶がない。

つまり私は学校などでアスペルガー症候群自閉症スペクトラム障害があることを前提とした対応を受けられなかった。

私は小学校・中学校とずっとクラスになじめず、同級生から10年以上いじめられた。当然友達と言えそうな人は作れなかった。高校に進学しても、私自身には分かりにくい形でからかわれた経験がある。インターネットの掲示板に心無い書き込みをされたこともある。

その当時はいじめられる理由が自分にはまったく分からなかった。何かやらかしていたのだろうが、私自身は心当たりがまったくなかったのである。

今振り返ると、場の空気をあまり読まずに行動したり、他人との会話の際に相手の顔に目線が合わなかったりしたことがあったと思う。それと「他人のことをおもんばかる」ことも当時は難しかったのだと思う。相手のペースや気持ちを考えることが困難だった。

このような課題を、当時の学校の教師など「周りの大人」が、私に対して理解しやすい形で伝えてくれるわけではなかった。

いじめられたりケンカしたりした後、相手だけでなく当然私に対しても教師と話をする時間があった。ただ私は教師から言われたことが耳に入ってもほとんど理解できなかった。この記事を書いている最中に思い出そうとしてもあまり思い出せなかった。

ただ勉強だけはそれなりにできた方である。高校時代の定期テストの成績は悪くなかったし、大学受験予備校主催の模試でもそこそこ点数が取れた。当時は大学受験の勉強をしており、予備校の現役生向けコースに通っていたが、なぜか特進クラスで勉強していた。

それでも高校3年生の夏に心が壊れてしまい、結局は高校を中退するハメになった。私自身がもう少し早く「自閉症スペクトラム障害」とか「発達障害」のことが分かれば、それなりに支援を受けられたかもしれない。それと心がボロボロにならず、人生がまだマシなものになっていたかもしれない。

なお当記事の本題から脱線してしまうので、今後この自分の経験の詳しい話を別途ブログ記事にするかもしれない。

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